レプブリカの校舎縮小について

エマウスの拠点のひとつである、レプブリカの校舎が縮小されることになりました。環境の悪化(特に浸水被害)や校舎の老朽化から、縮小は避けられないだろうという話は聞いていたのですがやはりショックです。。アルチの活動はそのまま残されるようです。以下、Diário do Pará の記事です。文中には、幼いときエマウスに出会ったことで自分の人生が変わった、とインタビューに答えている人たちの話が出ています。
新しい中心地で戦いは続くーエマウスが現在の活動拠点を売却、ベングイ地区に複合校舎を建設
2006年より、エマウス共和国運動(MRE)はベングイのエマウスシティ(Cidade de Emaús)の新校舎で活動することとなった。パドリ・エウチキオ通り側の校舎を処分した資金で、エマウスシティに複合校舎を建設し、現在それぞれが分散している諸活動を集合させる。(アピナジェ通りに面した)もうひとつの校舎はジュルーナスの子どもたち向けの活動の拠点として存続される。MREコーディネーターのグラッサ・トラパッソは、「現校舎の構造は今の活動状況には望ましいとはいえず、しかし改築する予算はないので結果的に土地を売却しすべての活動を統合することを決定しました」と話す。また建設の日程は未定だが、来年の一月から徐々に移転を始める。「予算獲得の諸交渉、土地の売却は重要課題です」
記念式典
11月5~12日、エマウスは35周年記念式典を開催する。子どもや若者が参加できる文化・スポーツ企画、家族向けのワークショップ、講演会が開かれる。開催地はベングイとジュルーナスの予定。
人生を変えた人々
ジョゼ・カルロス・クルスは現在エマウス・キャンペーンで働いているが、彼がエマウスと出会ったきっかけはもっと前に遡る。70年代、ジョゼはヴェール・オ・ペーゾ市場で買い物袋を売っていた子どもだった。そんなとき、若者のグループが「小さな労働者の共和国」に誘ってくれた。「私たちには二つの選択があった。それは、路上で暮らすか、家族を助けるか、というものだった。あの頃一番大変だったのは、ハッパ(テキヤのような存在)が私たちを休ませず働かせていたことだった。共和国のグループは、物売りをしている子どもたちの組織化に力を貸してくれた」とジョゼは昔のことを思い出す。
ジョゼの初めの仕事はエマウスによって得たものだった。「ある会社が、エマウスのプロジェクトの子どもを雇ってくれて、それで私は商業の仕事に就きました。18歳になったとき、エマウスのスタッフがボランティアとして働かないかと声をかけてくれました。それは『自分自身の歴史の主役になるため』の誘いでした。そういうわけで、今自分はここにいるんです。エマウスに出会えて本当に良かったと思っています。路上で働く人間は、人生の展望が描けない。私にとって、エマウスは新しい人生を始めるきっかけとなりました。エマウスには本当に感謝しています。この活動が続き、自分が協力できる限り、この仕事を続けるつもりです」とジョゼは話す。
エマウスの掃除を担当しているシレーニ・メロはエマウスと14年の付き合いになる。彼女は、アルチ・ジ・ヴィヴェールのプロジェクトでの人形のリサイクルをきっかけにここに参加した。シレーニはストリート・チルドレンだった。「母から暴力を受けていたので、家を出ました。路上で暮らし、すべてを明け渡し、ドラッグも経験しました。あるとき、エデュケーターのグループがやってきて、プロジェクトに参加しないかと誘ってくれたんです。私にとってエマウスはすべてでした。もしあのまま路上で暮らしていたら、刑務所に入っていたか命を落としていたと思います。今は三人の子どもと暮らしていますが、彼らには自分が経験したことはさせたくありません。」
エマウスの活動
エマウスには「表現(expressões)」と名づけられている4つの活動分野がある。小さな労働者の共和国、エマウス・キャンペーン、エマウス・シティ(子どもと青少年の権利促進プログラム)、子ども権利保護センター(Cedeca)である。それぞれの活動が独自のプロジェクトを持っている。1970年の設立当初は、約100人の若者が参加していた。現在は、1000人以上の子どもと青年を受け入れる活動となっている。 
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