エマウス便り

こんにちわ!
ベレンのエマウス共和国運動にボランティアで参加しているユキです。
今日は6月2日。6月に入って、ベレンの太陽はいっそう輝きをましてきました。
昼の太陽の熱さは(暑という字より熱の方が実感があります)立ちくらみを覚えるほど。でも日陰や木陰に入るとホッとする涼しさで、影から影を探して影づたいに、まるでネズミ小僧のように街中を歩いています。
さて、5月のエマウスはなんといっても曼珠沙華が話題の中心でした。
曼珠沙華はすでに何度かこのブログで紹介されていますが、今回初めてアクセスされた方のために少し説明しますと、日本舞踊に歌舞伎の要素とか沖縄、韓国の舞踊も取り入れた華やかな舞台を、厳しい境遇や貧しい環境の中で頑張っている子供達に見せて夢を届けたいと、海外の国々でボランティア公演を行っている劇団です。http://www.manjushaka.net/top.html
その曼珠沙華が5月7日にエマウス・ジュルナスを親善訪問しました。
翌日の8日には、日伯協会の劇場にエマウスの子供達や家族を招待して、舞台公演を行いました。
この5月7日、8日の為に、私が活動参加しているアルチでは4月後半からその準備に充てられました。
まず、カード作り。親善訪問の際にアルチの少女達から団員ひとりひとりに手渡されるカードです。今回、曼珠沙華のベレン滞在にあたって中心的にお世話された北島さん(Amazon Travel Service)から予め頂いていた資料の中の曼珠沙華のチラシを、子供達に回覧しました。
最初ためらいがちだった少女達ですが、まい子さんが《まんじゅしゃか、マンジュシャカ、曼珠沙華》と三種類の日本語を大きめの文字で書いた紙を見せたら、見よう見真似で「Bem Vindo!まんじゅしゃか」とか「Bem Vindo!マンジュシャカ」とポ語と日本語を取り混ぜたメッセージを書いていました。
そのうち、漢字を書き出す子も出てきました。文字というよりデザイン感覚なのでしょう。でも読めるほどに形になっていました。そこに折り紙を貼り付けたり、図柄のアイデアも色々出て、可愛らしいカード、楽しいカードなど30枚以上のカードが出来上がりました。
どの少女かちょっと忘れましたが、ひとり絵の上手な子がいて、チラシを見ながらママローザと他の団員の似顔絵をカードに描きました。ほんとうに上手です。劇団の人に手渡すカードでなければ記念に欲しいくらいでした。
Jennyferは目ざとくチラシの中の藤聖斗くんを気に入り、藤聖斗さまと漢字で書いた特別カードを作り、7日に手渡すのを楽しみにしていました。
ママローザの似顔絵入りのカードは勿論ママローザ宛です。
次はカードを入れる封筒作り。デザインもいろいろと工夫された手作り封筒も出来上がり、カードを入れて、次は団員にカードを手渡す時のリハーサル。最初、Nanaがまい子さんを団員に見立てて、歓迎の挨拶を述べながらカードを手渡しました。次にLidianeが私を相手にリハーサル。最後にLuciaが「カードを渡したらすぐに背中を見せて立ち去らないで、このようにきちんと手渡しましょうね」と締めくくりました。
親善訪問前日の6日、午前の部の少女達がBrinde(贈り物)を30個作りました。予めLuciaが用意した良い香りのする藁で作った10cm程の人形にスカートを着せ帽子を被せて花束を持たせます。華やかなハギレをLuciaがスカート用に裁断し、少女達が手縫いでギャザーを寄せたスカートに仕立て、次々に人形が出来上がっていきました。
午後の部の少女達も何かプレゼントを作ろうとLuciaが提案しましたが、なかなか案がまとまらず、そのうちに私は会場となる食堂の飾りつけを手伝うためアルチを離れました。
食堂は、EducadorのDarivaldoが中心になって、インディオの文化の香りがする飾りつけが行われていました。天井には折り紙の鶴のモビールも吊り下げられました。
広い食堂の飾りつけが6時頃終わり、アルチに戻ると、驚いたことにまだ少女達がいました。
皆真剣な顔でプレゼントを手作りしています。用途は何か私には分からないのですが、15cm四方のクッションのようなものです。布を裁ち、縫い合わせて四隅にリボンを付けて、結構な手作業です。
協調性よりも個性の強さが際立つブラジルですから、私の見る限りにおいて、普段あまりまとまりが良いとは云えない少女達が、その晩に見せたチームプレーと頑張りは感激ものでした。少女達は7時過ぎまで頑張り、30個仕上げました。
7日がやってきました。快晴です。
朝10時、門の前に大きなバスが到着。団員が降りてきました。
何人かは真っ白な顔に目張りを入れた舞台用の化粧をしていました。眩しい太陽の下で真っ白な顔を最初見たときはちょっと違和感があって驚きました。少女達も同じ思いのようです。
でも、門の前に並び一人ひとり握手しながら出迎えたとき、私は同じ国の方が遥々ここまで来てくださったと胸がじ~んとしました。
門の前の庭ではカポエラのリズムと演技で出迎え。その前を会場の方に進むのかと私は思っていましたが、団員の方々は律儀に一列に並んで見ていました。しかし、朝10時の太陽はかなり暑く、ママローザから「暑すぎて化粧がダメになりそうだから中断していいか」と申し出があり、その直後すぐに団員の方達がバスから荷物を降ろし始めました。その数の多いこと。全部で30個はあります。
その時に分かったのですが、ママローザは翌日の舞台では時間の関係上見せられない演目全てを7日に子供達に見せたくて、着いたら直ぐに演じられるよう舞台化粧を済ませ、それ用の衣装・鬘など全て持ってきたのです。ただし、エマウスも歓迎の為ダンス、打楽器演奏など練習してきたので、時間割の関係上、曼珠沙華の演目は3つに絞られました。アルチのSalaが楽屋に使われました。
ところで、Jennyferのお目当ての藤聖斗くんは残念なことに学校があるため来ていませんでした。
会場では子供達が待ち受ける中、いよいよ曼珠沙華登場です。
最初は津軽三味線。目の前で聴く三味の音色は迫力あります。その後、若集3人の踊り。傘をさした女人5人の踊り。目の前ですから、細かい手の動き、指の動きの美しさ、流し目など視線の動きまで分かります。自分はやはり日本人だな!と背筋ゾクゾクさせながら日本の色気、いなせといった情緒を堪能しました。
しかし伝わるものは伝わるのですね。舞台の後、Lidianeが私に、指の動きを真似ながら「どうして、あんなに女らしいの!とても綺麗だ」と興奮気味に話してくれました。
Jennyferはこの日すっかり曼珠沙華のとりこになったようで、曼珠沙華の団員になりたい!明日ママローザに会えないか?と私に尋ねてきました。約束は出来ないけれど様子を見て出来そうだったら楽屋に連れて行ってあげると答えました。
いつもJennyferとLidianeが出てきますが、この2人はとても積極的なのです。
曼珠沙華の後は、エマウスの子供達がこの日の為練習してきた成果を披露する番です。
カリンボの音楽演奏、主に打楽器のリズムです。ドラム1セット、太鼓、そしてドラム缶数個。本来は木をくりぬいた楽器を叩くそうですが、ドラム缶はその替わりだそうです。しばらく演奏が続いた後、いよいよカリンボダンス。広げると円形になる華やかなスカートに短めのボレロ。少女達が演奏に合わせて踊りました。まい子さんも列の先頭で華やかに楽しそうにカリンボのリズムにのって踊りました。
日本の文化とブラジル文化。片や細やかな動きと抑え気味の感情表現。一方は発散するエネルギーと躍動のリズム。異なるだけにお互い不思議で魅力を感じあうのでしょう。
カリンボダンスには途中から団員の人達も引き出されました。日本舞踊と異なったリズムを子供達と一緒に踊って楽しそうでした。
アルチの少女達からカードと手作りプレゼントが手渡され、曼珠沙華からエマウスに手毬、羽子板、千羽鶴などがプレゼントされました。そして、フェジョアーダの昼食会。テーブルに団員のかたがたと子供達がとり混ぜて座り賑やかでしたが、個々のテーブルでどのような交流がなされたかお伝えできないのが残念です。ちなみに私は夢弥さんを囲んでLidiane、Renata達がいるテーブルにつきました。
私がRenataたちの質問を夢弥さんに伝え、それをポ語でRenataたちに伝え、これを2,3回行ったところで、夢弥さんの隣に座っている団員の方が日系ブラジル人と分かり、私は自分の下手なポ語に赤面しました。
感銘を受けたJennyferやLidiane、そして彼女達のように積極的に話してくれないけれど、きっと深い印象を受けたに違いない他の子供達、曼珠沙華と子供達は大きなプレゼントを交換しあったと確信します。
5月8日、3時にバスが2台到着してエマウスの子供達が会場に到着しました。
日伯協会の劇場はとても広いので、2台のバスで来た子供達が席についても後ろは大分空いています。
余談になりますが、夜9時からの一般向けの公演は満席でした。日系ブラジル人の方々にとっては、ほんとうに堪能できた楽しい舞台だったようです。出口の混雑の中でそうした感激の言葉をあちこちで耳にしました。
ママローザは各国の子供達を元気づけてきただけあって、子供達への呼び掛けや盛り上げ方が旨く、また子供達ものりにのって賑やかでした。劇場の後ろの空席を十分埋める程の声援でした。
私は7日、そして8日の昼と夜、合計3回曼珠沙華の舞台を楽しむことが出来て幸運でした。田村先生がメールに書かれたように、夢弥さんの踊りは見事です。
ファンになりました。
さて、舞台が終わると興奮気味のJennyferが私のところに来て、ママローザに会えないか?と言います。その日、舞台の前に少しお話することが出来た団員の方に、その旨聞いてみると、LuciaとJennyferを楽屋に案内してくれました。Jennyferはママローザと夢弥さんから写真入りの色紙を頂き、とても嬉しそうでした。後日、毎晩寝る前にその色紙を見ていると話してくれました。その数日後、お礼の手紙を書いたから訳して欲しいと言ってきました。ママローザはJennyferに、団員になるにはまず日本語を覚えなさいと話したようです。そのために金曜日に私は日本語をJennyfer,Luisa、Larissaの3人に教えることになりました。
曼珠沙華を迎えて、活気づき、興奮気味の日々が過ぎて、2週間後、3月から約3ヶ月エマウスで活動されたまい子さんが帰国の日を迎えました。
22日、まい子さんには内緒でお別れ会を企画していたようで、子供達はまい子さんに気付かれないようにSala de danca(ダンス教室)に閉じ込もり、まい子さんへのカード作りをしました。まい子さんはアルチの事務所で本を読むように言われて、なんだか訳が分からないまま本を読んでいたそうです。
食堂に皆集まり、そこにElisangelaに連れられてまい子さんが入ってきました。
DarivaldoやElizangela、Joelmaからお礼の言葉が贈られ、子供達一人ひとりがメッセージをこめたカードをまい子さんに贈りました。Luciaはこの日大事な会議があり、この場所にいれなかったのは残念だったと思います。
それから、まい子さんに捧げる歌がカリンボの音楽で歌われました。
歌の意味は私には聴き取れなかったけれど、きっと色々な思いがこめられた歌詞だったことでしょう。
まい子さんは千代紙で小さな鶴を折り、それに糸を通してペンダントにしたものを100個用意していました。一人ひとりの首に掛けて、一人ひとりとハグしていました。
たくさんの想いに満ちたお別れ会だったと思います。
まい子さんは24日の早朝ベレンを発たれて、26日に無事帰国されました。

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