心のきれいな子どもたち −エマウスでの3ヶ月−

辻 美和



「世界子ども通信プラッサ」第18号(2002.12)の記事を許可を得て掲載しています

 
 きっかけ


 「ブラジルのストリート・チルドレンが警察官に殺されているらしいよ」

 イギリス留学中にあるクラスで耳にした友人の一言がのちに私をブラジルへと導くことになった。
ブラジルのストリート・チルドレンにこだわるのには理由があった。尊敬するF1ドライバーのアイルトン・セナが生まれた国、ブラジルで起きている事件だったからだ。

 しばらくしてから偶然に、彼が生前からブラジルのストリート・チルドレンの支援をしたいと考え、彼の死後に「アイルトン・セナ基金」が設立されたことを知った。ストリート・チルドレンの虐殺、そしてセナが彼らのおかれる状況に心を痛めていたことを知り、少しでも早くブラジルのストリート・チルドレンを支援する活動を見てみたいと思うようになった。

 強く、強く、思い続けて3年が経った。行きたいという思いだけが先走りして、きっかけがつかめずにいた。ブラジルに行く日を夢見て、ポルトガル語講座にだけは毎週通い続けていた。もうあきらめようかと思っていた時にプラッサのメンバーであり、ブラジル・パラ州のベレンにあるエマウスというNGOを研究対象として博士論文を執筆している田村さんに出会った。

 田村さんにどうしてもブラジルに行きたい、ストリート・チルドレンに関する活動に参加してみたいとメールを送ったところ、10時間足らずで地球の反対側、ベレンからお返事を頂いた。「是非いらしてください!」というタイトル、そしてそのメールにはNGOのスタッフの家に滞在出来ると書かれていた。周りの人にはアマゾンの入り口なんてそんな危ないところによく行くものだと驚かれたが、3年間待ち続けたこの機会を無駄にすることなどできなかった。

 ベレン到着


 1ヵ月後、私はもうベレンの空港にいた。飛行機から出てタラップを降りるとムッとした生温かい空気が体を包む。「暑いから覚悟してきてね」という田村さんの言葉どおり、ブラジル北部、赤道のすぐそばに位置するベレンは日本の雨季にも増して湿度が高いため、体感温度は40℃近い(どこの温度計も壊れていて、中には毎日20℃と表示しているものもあった。正確な温度はわからない。)

 今、冷静になって考えてみると初めてのブラジル長期滞在がベレンというのはなんとも貴重で珍しい体験であったと思う。ベレンはブラジル北部のパラ州に位置し、サンパウロなどの大都市と比べて「肩の力の抜けた町」という印象だった。

 町をスーツで歩く人の姿はなく、ブラジル北部最大といわれるベーロオペーゾ市場には色鮮やかな野菜、魚、果物が並び、ゆったりと目の前をアマゾン川が流れていく。取れたての新鮮な野菜や魚を売る市場ではまだ小学生にも満たない子どもたちが売り子として働いている。
ベーロオペーゾ(Ver-o-peso)市場

 エマウスで出来の悪い生徒になる!


 空港に着き、荷物を降ろすとすぐにエマウスに向かった。エマウスへ向かうバスの中で私は少し緊張していた。日本を出る前に読んだ本の中には、路上生活をする子どもの中には生きていくためにやむを得ず盗みをしたり、空腹感を満たすためにドラッグに手を出している子どももいると書いてあった。私がこれから出会う子どもたちのなかにも路上生活をしている子どももいると聞いていた。

 エマウスの活動は多岐に渡っている。私が参加したのは路上生活を経験した子どもたちに社会教育を行う「小さな労働者の共和国」と呼ばれる活動のなかの12歳から18歳までの女の子を対象としたArte de Viver(「生活の芸術」)と言うクラスだった。教室に入ると、8人の女の子たちが机に向かって、ビーズを使ってアクセサリーを作っていた。みんな身なりもきちんとしていて、とても路上生活をしていたり、路上生活を経験した子どもたちとは思えなかった。

 何を話せばいいのか分からずうろうろしている私に、一人の女の子が声をかけてくれた。

「座って、何か一緒に作ろうよ」

 私が描いていた子どものイメージとはまるで違った。子どもたちのために、自分にできることを探したいと意気込んできた私が、まさかベレンで子どもと一緒にアクセサリー作りをすることになるとは夢にも思っていなかった。

 見ている分には簡単だが始めてみるとこれがとても難しい。結局、完成させるのは無理だと思い、他の子どもたちの作業を眺めていた。するとまたさっきの女の子が私に近寄り、「できないの?こうやるんだよ」と言ってあっという間にブレスレットを完成させてしまった。
ビーズでアクセサリーを製作中

 子どもたちよりずっと年上の私が、子どもたちに教えるどころか、教えられていた。こうして私はArte de Viverのなかで一番不器用で、出来の悪い生徒になったのだった。

 
私がクラスの生徒の一人となってから、「ミワのお世話係」と呼ばれるようになったパトリシアという17歳の女の子がいた。私のブレスレットを完成させてくれた彼女は活動に参加するようになってもう7年になる「大先輩」だった。

 エマウスの子どもたちがおかれる状況

 エマウスに通う子どもたちは一見しただけでは、普通の子どもたちと何も変わりはない。子どもたちが活動に参加している様子を見て始めは、この子どもたちの一体どこに問題があるのだろうかと思っていた。

 ある日、深く意識をせずにある女の子に「兄弟は何人いるの?」と聞いたことがあった。私にとってその質問は、話をするきっかけをつかむための何気ない一言だった。するとその女の子はしばらく黙り込んだあと、「お兄ちゃんと、お姉ちゃんがいる。でもどこにいるか知らないよ!」と言って走って逃げ出してしまった。いつも教室に入っていくと人なつっこく、はにかみながら近づいてきて私から離れなかったその10歳の女の子の初めて見る悲しく、寂しそうな表情だった。

 あとから聞いたところによると彼女には両親がなく、エマウスのスタッフの家に住んでいるということだった。いつも、笑い声が絶えない子どもたちがそれぞれに抱えている問題の深刻さを、身を持って感じたのはこの時だった。

 クラスのみんながやる気がないときも、いつも積極的に自分の意見を述べる女の子がいた。色白で背が高く、モデルのようにきれいなエリアーニという16歳の女の子は、いつも鏡の前で踊りながら自分の姿をながめるのが大好きだ。私が活動に参加するようになってから1ヶ月が経った頃だった。彼女が珍しく、授業に遅刻してきた。目は真っ赤に腫れていて、何を聞いても答えない。彼女の様子を見て、すぐにArte de Viverを担当する、路上教育をはじめて20年になるエドュカドーラ(教育者)のルシアが彼女を別の部屋に連れて行った。

「あなたが遅刻してくるなんて、珍しいわ。一体どうしたの?目が腫れているわね?」

 始めはなんでもないと答えていた彼女が、下を向いて少しずつ話し出した。

 「お母さんが3ヶ月前に病気で死んでから、私もう行くところがないの。それで、彼の家に住んでいるんだけど・・・、彼がね、このサンダルの裏で私のことをぶつの。見て、ここ」と言って彼女が腕を見せた。心にしまいこんでいた感情があふれてきたのか、彼女は声をあげて泣き出した。腕には青むらさき色の大きなあざがあった。

 彼の家のほかに帰る場所はない。彼女の大きな目は、頼れる人のいない寂しさ、不安でおびえているように見えた。ルシアと話をして少し落ち着きを取り戻した彼女は、「もう一度だけ彼と話しをしてみる」と言い残して帰って行った。


彼女がそれからクラスに戻ってくることはなかった。ルシアが電話をすると、「ブラジル銀行に就職が決まった」と答えた。しかし、まだ何の技術も身につけていない彼女が銀行に就職できるとは思えない。ルシアはこれからも彼女と連絡をとり、どうにかクラスに戻ってくるよう説得したいと語っていた。

 エリアーニの話を聞いていた私までがやり場のない気持ちになった。子どもたちが抱える問題の解決策がどこにあるのか、どこに行けば逃げ道を見出せるのかと考えていた。話を聞きながら、私まで涙があふれてきてしまった。
するとルシアがこう話してくれた。

 「私も時々、夜眠れなくなることがあるわ。今日問題を抱えてきたあの子は、今頃路上に出ていないかしら。路上でひどい目にあったりしていないかしら・・・って。でも子どもたちが置かれた状況を一緒に嘆いていても何も始まらないでしょ。ここにこうして来ている子どもたちはまだ幸せよ。ここで少しでも這い上がるチャンスを与えられているんだから。そういう子どもたちが、チャンスをつかんで一人でも生きていけるように支えていくのが私たちの仕事なのよ。」

 子どもも、そしてエドュカドーラたちも毎日が戦いなのだ。ひとつの問題が解決したかと思うと次の日にはまた別の女の子が違う問題を抱えてやってくる。

 多くの問題はブラジルの、特に貧しい家庭の家族構成に原因がある。両親は離婚、再婚を繰り返していることが多く、父親がいない家庭の子どもが多い。また、新しい父親や母親から虐待を受けていると言う話も何度も耳にした。まだ13歳のあどけない、笑顔のかわいい子どもの体には、毎週新しい虐待のあとが見られた。

 子どもたちが住む地域によっては、若い女の子同士の抗争があり、毎日誰かに殺される、狙われているとおびえている子どももいた。家庭に居場所を見出せない子どもは路上に向かったり、付き合っているボーイフレンドの家に住むことが多くなる。そして、まだ17歳にも満たない女の子たちの妊娠があちこちで見られ、17歳にして2児の母であるということも珍しくない。エドュカドーラのルシアは言う。

「子どもが妊娠してここにやって来ても、もう手におえなくなってしまう。妊娠すれば今まで以上に仕事を見つけるのは難しくなるわ。しかも技術のない彼女たちにできる仕事はほとんどないのが現状よ。」

 貧しい生活の中で、若い親から生まれた子どもはきちんとした教育を受ける機会もなく、また路上に出ていく。そしてその子どもがまた若くして子どもを生むという悪循環が繰り返されて行くのだ。

 一方で、エマウスに通う少年・少女たちに対する富裕層の人々の視線は冷たい。ベレンの中でも一、二を争う資産家の子どもで、ちょうどエマウスに通う子どもたちと同じ15歳の少年と話をしたことがあった。

 ベレンで何をしているのかと言う彼の質問に、私はエマウスで子どもたちと一緒にダンスをしたり、折り紙をしたり、人形を作ったりしていると答えた。すると彼は、母国語のポルトガル語ではなく流暢な英語でこう答えたのだ。


「あぁエマウス、貧しい男の子や女の子がいるところね」

子どもの優しさに救われる


 エリアーニが付き合っているボーイフレンドから虐待を受けて来たその日、エマウスからの帰り道、様々な思いが込み上げていた。エリアーニは今日、どこで眠るのだろう?今日は虐待を受けないだろうか。

 私がバス停に向かって歩き出すと、「ミワのお世話係」のパトリシアが走って追いかけてきた。「今日はちょっと遠い停留所まで一緒に歩いて帰ろうよ」と彼女に誘われて歩き出した。

 彼女は私の手を取るとすぐに、「ミワのお家にかえろー!!」と大声で歌いだした。恥ずかしいからやめてと言う私の言葉も聞かず、彼女の声はどんどんと大きくなる。「ミワも歌いなよ!」そう言われてはじめは戸惑っていた私も、気がつくと周りの目など気にせずに彼女と一緒に歌っていた。
 彼女は私が落ち込んでいたことを知っていたのかもしれない。つないだ手から彼女のやさしい、あたたかい気持ちが伝わってきた。大声で歌うことで、心の中の暗い気持ちを吐き出せたような気がした。子どもたちが抱える問題の深刻さに心がつぶされそうになっていた時に、彼女がくれたやさしさを思い出すと今でも心の奥があたたかくなる。

 私に対してはとてもやさしいパトリシアだが、感情の波が激しく、私が子どもたちと一緒に折り紙を使って作った出席表をビリビリと破り捨ててしまったことがあった。

 このようなこともArte de Viverでは毎日起こった。大声で叫ぶ、歌う、怒鳴る、他の子どもや、エドュカドーラに当り散らすなど子どもによって感情の表し方は違うが、それも子どもの自己表現のひとつだとルシアは言う。つらいことがあっても、家庭でその気持ちを表すことの出来ない子どもたちはArte de Viverで全てを発散するのだ。

 当り散らされる側のエドュカドーラや実習生はたまらないが、子どもたちの感情をありのままに受け止めることもArte de Viverの大切な活動のひとつなのだ。
パトリシア 自分で作った人形と

  心のきれいなこどもたち


 エマウスで子どもたちと過ごした3ヶ月間、子どもたちとよく笑い、よく泣いた。ブラジルの子どもたちのために自分にできることを探したいと意気込んで向かったエマウスで、私は最後まで子どもたち、そしてエドュカドーラのお世話になりっぱなしだった。

 ベレンにいる間に、エマウスの子どもたちと一緒に教室から一歩外へ出ると周りの人々からの冷たい視線を感じることがあった。

 子どもたちの服装から、そしてきちんとした教育を受けてこなかった彼らの言動から、ブラジル人の多くは彼らを「悪い子ども」、「汚い子ども」として他の子どもたちとは区別しているように思えた。
 しかし、これは彼らの外見に過ぎない。実際にエマウスの子どもたちと接してみて、汚い格好をしていたり、彼らの行動が世間の常識から少しはずれてしまっているから「悪い・汚い子ども」なのではないと思った。

 私が会って話し、遊んだ子どもたちはみんな、やさしいきれいな心を持った子どもたちだった。人を思いやる繊細な気持ちを持つ彼らが、ブラジル社会から邪魔者として扱われてしまうことがどうしても理解できなかった。

ミシンを使って裁縫のクラス
 そして、エマウスの子どもたちと接するうちに大切なのは目に見えることではなく、彼らの心の中にあるのだと気がついた。

 子どもたちは、彼らが本当に大切にしている「人に対するやさしい気持ち」を心の中に鍵をかけてしまっているのだ。外見だけでは何も分からない。そして信頼できる相手にだけは、その鍵を開けて心のうちをそっと見せてくれるのだ。


 エマウスで3ヶ月を過ごし、生まれた時から「悪い子ども」なんて一人もいないのではないかと思うようになった。これはブラジルだけではなく、日本の子どもも、世界中どこの子どもでも同じではないだろうか。彼らがもし、大人たちの言う「悪い子ども」なのだとしたら、彼らを「悪い子ども」にしているのは私たち大人なのではないだろうか。



生まれたばかりの子どもと一緒に 「世界女性デー」に思うことをまとめる子どもたち
注:文中の名前は一部仮名です
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