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ブラジルの子どもたちの現状


子どもたちはなぜ路上で生活しているのか。

その原因は複雑であり、簡単に説明できるものではありませんが

こうした状況を作り出した社会背景を知ることは子どもたちの現状の理解のためにとても重要です。(*1)



 歴史的に築かれた社会階層間の格差


 ブラジルは、1500年にポルトガルに「発見」されて植民地とされるまでは、先住民(インディオ)が集落を作って暮らしていた地域でした。ポルトガル人の入植に伴い、先住民ははじめ肉体労働を強いられましたが、彼らはそれを拒否し逃亡しました。また、ポルトガル人がヨーロッパからもってきた伝染病にかかり相当数が死亡しました。

 先住民が労働力として利用できないとわかると、ポルトガル人はアフリカ大陸から黒人を奴隷として運び入れます。奴隷貿易の商品でもあった黒人は、西アフリカ地域から部族、家族をばらばらにされてブラジルに運ばれ、砂糖プランテーションの労働力として、あるいは子どものお守り役として、の対象としてポルトガル人の主人に仕える存在でした。1822年にブラジルは帝国として独立しますが、奴隷制は共和国として独立する時まで継続されました。奴隷解放令が発せられたのは1888年。ブラジルは他のどの国よりも奴隷制が長かった国です。

 共和制下において、ブラジルは国家として成熟する重要な時代を迎えます。経済は、東南部ではコーヒー栽培の成功に伴い産業基盤が形成され、発展の道をたどります。しかし、こうした産業発展の恩恵にあずかったのは、エリート層である大土地所有者。労働力はヨーロッパ、日本からの移民に取って代わられたのです。それまで奴隷とされていた人々は、身体的自由を得たものの、賃金労働者になることはまれで、元奴隷主のもとで零細農民として生きるしか道は残されていませんでした。

 農村で自分の生活を支えられない状況におかれた元奴隷層出身の人々にとって、1930年以降のブラジルの産業発展による労働需要は「都市に移動すればお金がもらえるかも知れない。生活が楽になるかも知れない」という期待を胸に大都市へと移動します。特に第二次世界大戦以降は、北東部や北部からたくさんの人々が雇用を求めて南東部の大都市(リオデジャネイロ、サンパウロ)へと移動しました。

 しかし、仕事を求めて都市へとやってきたところで、彼らにできる仕事は単純な労働に限られます。需要のある仕事は、基礎的な教育・技能が必要だったからです(*2)。教育の機会も与えられないまま成人になった彼らは、住居に適さない空き地を不法に占拠し(そうしたスラム地域はファヴェーラと呼ばれます)、日雇労働に従事し、不安定なその日暮らしを余儀なくされます。

 植民地としての歴史と教育の機会の差によって、土地を所有するもの(入植者)が富を得て、土地を持たないもの(先住民、奴隷)は搾取されるという構図がブラジルの貧富の格差の骨組みとなっているともいえます。


   21年間の軍事政権

 1962年のキューバ危機後、社会主義・共産主義の思想がブラジルで育つことを恐れ、1964年に軍事クーデターが起こります。社会運動家は亡命を強いられ、「貧しい人とともに」という思想を持った解放の神学派の人々が投獄され、拷問を受け、暗殺されるという人権蹂躙の時代が到来します。

 軍事政権の抑圧的支配体制に異を唱える人は端から逮捕されました。政治は軍事中枢部の独裁となり、膨大な対外債務による経済発展の時代が到来します。しかし、オイルショックにより国家の経済成長がストップし、債務大国となると同時に政府は「政治開放」を宣言、1985年には21年間続いた軍事政権が幕を閉じます。

 1985年以降の民政移管は、70年代の抑圧的社会状況の底辺で人々の支え合いの組織を形作ってきた草の根の民衆運動・社会運動によってもたらされたとも言われています。この時代になり、それまで抑圧されてきた人々は初めて自分の権利(人権、市民権)を理解し、その獲得のためのプロセスを歩み始めます。1988年憲法は、ブラジル国民が手にした初めての民主的憲法でした。その後導入された経済自由化によって貧富の格差は拡大しますが、政治的発言権を得た人々は「ブラジルを公正な社会に」という目標のために少しずつ動き出しています。


   ブラジルのストリートチルドレン

 20世紀後半の都市化と長く続いた軍事政権により、子どもたちの生活はどのような影響を受けたのでしょうか。親とともに都市に移り住んだ子どもは、親と一緒に働くことになりますが、正規の雇用につくことはできず、労働に見合った賃金を手にすることは非常に少なく、搾取されるケースがたびたび起こります。子どもを働かせて親は家にいることもあります。また、家計を得るため母親が仕事をするようになると、とくに女の子は家で小さな子どもの面倒や家事を任されるようになります。なかでも深刻なのは、親がみつけたパートナーが子どもに暴力をふるうことです。幼いうちから売春行為をさせられることもあります。こうして、子どもたちは家庭という自分の居場所を失ってしまうのです。

 親の都合で自分たちの生活を奪われてしまう子どもたちにとって、路上は魅力的な場所です。親の命令を聞く必要もなく、好きなことをして時間を過ごすことができます。物乞い、万引き、ひったくりを重ねればその日を生きる食料は手に入ります。同じ境遇で生活している仲間もたくさんいます。こうして、子どもたちは家から離れて路上で暮らすストリートチルドレンとなってゆきます。しかし、路上で生活するということは、実は危険と隣りあわせで生活することを意味しています。

 都市を行き交う人々は、路上で暮らしている子どもたちは泥棒であり、非行少年・少女であり、「危険な存在」だと考えて冷たいまなざしを向けます。路上で生きることで味わうつらさ、悲しさ、寂しさ、空腹感を紛らわせるため、子どもたちはシンナーや覚せい剤を使うようになります。さらに、盗難や強盗等の被害にあった大人たちは、「死の部隊」(軍警察が関与しているといわれています)を組織し、夜間人目につかない場所に子どもたちを強制的に連れ出して「処刑」していました。軍事政権下では、こうした人権を無視した事件が頻繁に起こっていました。

 ストリートチルドレンに対する偏見と暴力は、1985年にブラジルが民主化を迎えたところですぐに変わりはしません。1993年、カンデラリア教会前の広場で寝ていた子どもたちが8人虐殺される事件が起こります。しかし、カンデラリア虐殺事件はそれまでの「処刑」と違う展開をみせます。子どもたちの生活を守りたいと思う人々が行動できる政治状況にあったこと、軍警察による理不尽な暴力を告発しようとする土台が築かれ始めていたこと、また、子どもの人権保護活動をバックアップする国際的ネットワークが存在していたことから、カンデラリア虐殺事件は新聞に大きく取り上げられ、子どもの人権を無視した象徴的な事件として報道されました。そして、これまでそうした事件に対して無関心であったブラジル政府も「ストリートチルドレン」の問題に対して法的施策をとらざるを得なくなりました。

 21世紀に入り、ブラジル社会も少しずつ「公正な社会」へと変化を遂げています。ブラジルのストリートチルドレンは以前ほど目に留まらなくなりました。しかし、目立たない場所に警察に連れて行かれたり、無理やり施設に送り込まれただけなのかも知れません。一定期間を終えて施設を出るとき、安心して生活できる場所が他になければ子どもたちはまた路上に戻るでしょう。都市貧困層の生活が改善されなければ、そのしわよせは必ず子どもたちに現れます。子どもたちに何が必要か、そのために社会はどう変わらなければならないのか。それを考えることから始めなければならないのです。



   子どもの権利を守るために活動するブラジルのNGO

 エマウスのように、厳しい暮らしを強いられている子どもたちを支援し、不公正な社会を変革しようと活動するNGOの多くは1970年代の軍事政権の時代に生まれました。抑圧的な政治体制から、はじめは草の根の活動をおこなっていましたが、「政治開放」の頃には各団体間でネットワークを築き、軍事独裁政権に対し一丸となって告発運動を行なうようになりました。なかでも1985年設立の「ストリートチルドレン全国運動」は、ブラジル中の路上生活をする子どもたちの意見を政治的発言として政府にアピールする機関となりました。もちろんエマウスも協力団体として設立当時から深く関わっています。

 子どもが安心して暮らせる社会を作ろうというNGOに共通してみられるのは、「まず子どもの声を聞こう」というスタンスです。自分たちの用意したハコに子どもを入れて矯正するのではなく、子どもにとって何が大切か考えさせ、その上で自分たちの意見と折り合わせてゆく姿勢を持っている団体はとても多いです。子どもを言い聞かせるのではなく、理解し合い、そこから解決の方法を見つけ出す。とても根気のいる仕事です。しかし、人間がお互いに理解するために必要不可欠な行為です。活動に関わる上で、次々となる価値観に出会い、自分自身も成長します。ブラジルのNGOがエネルギッシュな理由は、ここにあるのかも知れません。(*3)



*1 以下の文章は、エマウスの活動を理解するために知っておいて欲しいことを中心に書かれたものです。ブラジルの子どもたちに関するより詳しいインフォについては、おすすめ書籍を参考にして下さい。

*2 1950年の15歳以上識字率は50%未満。全国民の半数以下が満足に文字を読めない状態にありました。

*3 市場経済のグローバリゼーションに対抗し、もうひとつの発展のあり方を目指す世界のNGOが結集した第1回世界社会フォーラムは、ブラジルのポルトアレグレで開催されました。




(文責:田村梨花)


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